日本食と日本の食事文化

雑多な用事をあれこれ兼ねて先週末からちょっとだけ日本にいる。電柱がごちゃごちゃした景観って本当に目障りだ。それはさておき、以下、食事をしたり道ばたを歩いていて思ったこと。

確かに日本食は食材も豊富だし、手の込んだものが多い。季節の食材もヨーロッパに比べたらずいぶん多い気がする。食べる「モノ」という点では(食糧自給率が驚異的に低い点に目をつむるとすれば)かなり「豊かな」ように思う。

じゃあ、食事を通じたコミュニケーションとか、そういう面になるとどうだろう?つまりは「食事を通じた文化」あるいは「食事文化」と名付けてもいいかもしれない。主に外食を想定したら、だが。

まず、ヨーロッパでよくある「美味かった?」(Hat sie geschmeckt?とか)みたいなコミュニケーションって、個性的な店主がいるお店をのぞいて、あまりない気がする。少なくとも、雇われている店員との間にはあんまり期待できないように思う。もっとも、応対してくれる店員がとっかえひっかえ変わるから(ヨーロッパは原則同じ店員が最後まで応対してくれる)、そんなコミュニケーションは期待してはいけない気がする。まあ、これはアジアに共通だろう。

この点は、別の見方をすれば、「客 対 店舗」のコミュニケーションなのか、「客 対 店員」のコミュニケーションなのかの差異と言ってもいいかもしれない。

それから、店員の対応がマニュアル化されていて、あんまり「人間味」みたいなのを感じない。ロボットみたいな店員が結構いるように思う。

それから、お店の中で、食器ががちゃがちゃ触れる音、店員の掛け声みたいな「外部の音」が多くて、食べてる人同士では若干しゃべりにくい気がする。お店の中がせわしない。これはある蕎麦屋で思ったこと。ついでに店内も狭い面積に多くのテーブルを突っ込んでいる。

なんだか「モノ」(食材)は豊富にあるのに、その上につくられる人間同士のやりとりとか、そういうものが希薄な気がしてならない。ちょっと残念に思う。なぜだろう?このテーマを追いかけたら、社会学の卒論の一つくらいにはなるのではないだろうか?

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