英語とドイツ語と日本語のはざま

最近、英語で公式な文章を書いている。英語は苦ではないが、やはり英語は母国語でないから、書くにはそれなりに苦労する。特に公式な文章となればなおさらだ。私の英語の表現が必ずしも的確でないことがあるから、基本的にはネイティブのチェックを受けることになる。私は基本的に英語教師(あるいは英語教師経験者、英語を母国語として他の言語を教えている人)に依頼しているので、こういったケースは「ふむふむ」と学ぶことが多い。

さて、問題はドイツ語を母語とする人が文章をチェックする場合である。研究室という場所で作業をしているから、このような共同作業的な側面が必ず生じる。この場合が、実にややこしい。

ひとまず、ドイツ語を母語とする人が私の英語をチェックする。そうすると、当たり前だが、ある程度修正を食らうことになる。そうすると、大幅に修正を食らうことになる。それには幾通りかあって、(1)私の単語のチョイスが不的確な場合や、単語や文章が日本語に引っ張られている場合、あるいはよりよい単語が見つかる場合、(2)私の(theなど冠詞を忘れている場合といった場合も含めた)文法的な面のミス、(3)修正する側がドイツ語に引っ張られて、正しい表現を誤った表現に修正するケース、(4)書く人のテイストにより異なるものを「自分テイスト」に修正されるケース、がほとんどである。(1)と(2)は私のミスであり修正されるべきものだ。また、(1)からは学び取ることが多い。問題は(3)と(4)のケースである。

(3)の代表的な例は「データ」だろう。ドイツ語ではDatenとなる。Datenはいろいろな意味になり得るが、Datumの複数形でもある。それにつられるのであろう、Dataと書くと、いつもDatasと複数形に修正される。しかしDataは基本的に不可算名詞扱いで使うから、Dataで良いはずだ。英語では「Datum」という形式もあるらしいが、普通は使わない。

(4)の例は、たとえば「仮説」という単語に対してSupportを使うかVerifyを使うか、あるいはUnfriendlyという単語を使うかAdverseという単語を使うかという類のケースだ。どちらでもいいと言えばどちらでもいいのだが、前者はモノの考え方(ある種の科学哲学)を反映しているし、後者はわかりやすさという点ではUnfriendlyだしエレガントさという点ではAdverseである。自分の書いた文章を、ここら辺のレベルまで直されてしまうと、なんだか自分の書いた文章が自分の書いた文章ではない気がしてくる。が、修正する側にも一理ある。とはいえ、このケースは、ある種の「文体」の域の問題であることが多い。

さらに、これらのややこしさを加速させるのは、現在書いている文章たちが、英語を読み書きできるが、必ずしも母語としてはいない専門家に読んでもらうものである、という点である。そのために、私はなるべくシンプルな英語で書くように努めているし、入り組んだ表現などは避けるようにしている。だが、正確さを失わずにシンプルに書くための配慮をした部分を修正されてしまうことがある。

こうなってくると、自分の文章能力がないのか、英語の文章の書き方のセンスが悪いのか、そもそも英語で文章を書くこと自体がへたくそなのか、単にセンスやテイスト(文体)の問題に振り回されているのか、だんだん分からなくなってきて頭が疲れてしまう。しかも、本質的な「内容」の部分ではないから、なおさらだ。

前にも書いたように、ドイツ語というのはある種の「かちっとした」書き方の様式があって、それに則(のっと)って書いていれば文章になる。一方、英語の文章というのは実にバラエティーが広い。そんなことも考え始めると、修正されてしまう文章だって、本当は自分の文体として許容される範囲なのじゃないかと思ったりもする。まあ、とはいえ日記を書いているわけではないから、読み手に伝わらない文章を書いても無意味なので、たいていは修正を受け入れるわけだが、どうにも腑に落ちなかったりするのである。

もうしばらくはこの狭間で悶々としている気がする。さて、いつになったら抜け出せるのだろうか?

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