空港の需要予測:こりゃ議論をミスリードするだろう

数日前になるが、日本国内の空港の需要予測と実績の比較結果を国土交通省が発表して、マスコミ各社が報道していた。「国内空港:甘い需要予測、達成75分の8 紋別、石見13%… 成田も43%止まり」(毎日新聞)、「61空港、需要予測届かず 08年度、達成8空港のみ」(朝日新聞)、「空港需要 甘い見通し、9割予測割れ」(読売新聞関西版)と言った具合で、時事通信も「需要予測達成8空港のみ=国内旅客、9割は下回る?国交省」という見出しだ。どの記事も「9割が予測した値に達していない」だの「予測が甘い」だの、そんな調子である。国土交通省のウェブサイトをざっとブラウズしてみたが、報道発表などは出ていないようだ。

さて、「達成したのは8つの空港しかない」「9割は予測に届かなかった」という文章、なんかおかしくないだろうか?

この場合の「需要予測」は、利用者数の「見通し」「予測」であって、営業マンに課せられた売り上げノルマのような「目標値」ではない。だから「達成した」「予測に届かなかった」という議論そもそもが根本的に無意味だ。営業マンが売り上げや契約数の目標値を超えて喜々とするのは意味をなすが、需要の予測が予測値を超えて喜々とするのはこれと本質的に違う。プラスマイナス5%とか20%とか、ある程度の範囲に収まるべきものであろう。そういう意味で、たとえば熊本空港の需要予測値と実績値を比べると、実績値が予測値の1.6倍を超えているが、これも問題なのではないだろうか、ということになる。逆に大分空港は年間12万人(率にすると7%)ほど実績値が低いが、年間利用者180万人の予測、168万人の年間利用者数に対して12万人の差と言えば、一日5000人の予測に対して4600人ほどだったということである。さほど悪くはないではないか、という考え方だってできる。

さて、ちょっと計算してみたいのだが、年間の需要(万人)単位では実感がつかみにくいから、大分空港の例のように、1日単位に直してみよう。仮に一日平均500人使う空港があるとすると、365をかけて年間利用者数は18万2500人だ。ざっと20万人といったところ。一日平均800人の利用者がある空港の年間利用者数は29万2000人、ざっと30万人だ。最も利用者数の多い羽田空港は、1年に6319万人(実績値)だから、1日平均にすると17万3100人ということになる。桁が全然違うのが分かるだろう。この数字感覚は持っておいて頂きたい。

さて、毎日新聞の記事にあるデータをもとにして、計算し直してみた。どこの会社のデータを使ってもよいのだが、毎日新聞のデータを使ったのは、単にCSV形式にしてエクセルで読み込めるようにデータの変換がしやすかったからだ。

まずは、パーセンテージによる需要予測と実績値の比較をしてみよう。プラスマイナス5%の範囲内に収まるのは、拠点空港は新千歳、仙台、羽田、鹿児島の4空港。これに、地方管理空港やその他の空港では北大東、与那国、調布、天草が加わるが、この4つはどれも離島の空港か、離島路線に使われる本土側の空港で、予測された需要はこの4つの中で最大の与那国空港で年間8万人(一日あたり220人)だ。プラスマイナス20%の範囲内に収まるのは、上記に加えて、旭川、秋田、中部、広島、福岡、大分、鹿児島、那覇の各拠点空港と、神戸、出雲、岡山、宮古、県営名古屋の地方管理空港・その他の空港となる。30%範囲に収まるのは、これらに加えて、拠点空港では山口宇部が、地方管理空港・その他の空港では、青森、庄内、南紀白浜、徳島となる。

次に、実際の乗客数の需要予測と実績値の比較をしてみよう。年間だとわかりにくいから、1日あたりに直してある。(一日あたりに直すことの妥当性の議論はあるが、ここではおいておく。)拠点空港では1日あたりの誤差が2000人いないに収まっているものが半分ほど。地方管理空港やその他の空港だと、ざっと半分ほどが一日あたり500人の誤差の範囲には収まっている。5千人以上のずれと、大きくはずれているものもある。

さて、需要予測はどう行われているのだろうか?詳細は国交省の資料にあるのだが(資料)、結構専門的なので、ざっと簡単に言うと、基本的には、国内全体の(都市間)交通需要を予測して、地域別の発生量・集中量を推定して、地域間でどう分布するかを推定して、そのうち飛行機が分担する割合を推計している(いわゆる4段階推定法だ)。だから、国内全体の交通需要の予測そのものがずれてしまえば、空港への需要の予測もずれる。まあ、本題と関係が薄いし、これ以上ややこしい専門的な話しに立ち入るのはやめよう。

何が一番言いたかったかというと、需要の予測に「届く」だの「達成」するという新聞記事は、いろいろな議論をミスリードするだろうということだ。読者はこれらの記事を読んで「需要予測」は「達成」されるべきもの、ととらえてしまうのではないだろうか?時事通信の使っている「達成率」などという単語は特にミスリードしそうだ。「国内空港の半数が、予測値の半分にも届かない」という指摘は確かに当っているのだが、これに「達成率」という概念を併記したら、読み手は「需要予測は達成されるべきモノだ」と思いこんでしまう可能性が高いだろう。上の計算はざっとやっただけで粗っぽい面が多々あるが、こういうちょっとした計算をしてみると、「達成」ではなくて「予測と実績があっているかどうかはずれているか」を議論することができるだろう。マスコミにはそういう視点で記事を書いてもらいたいと思うのだが・・・・無理な話しなんだろうか?

それから、「過大な予測が空港の乱立につながった」と書くのは結構だと思うんだけど、「じゃあ何で過大な予測になったのか?」というところまで突っ込んでいる記事がないのが残念。ネタ的には政治家の口利きの方がセンセーショナルで面白いのかもしれないが、実際問題として(科学的な)需要予測の手法そのものに実は改良の余地がたくさんあるとか、そういう指摘があればいいのに、と思うのだが、これも日本のマスコミには無理難題なのだろうか?

ウィーン市内1年定期券

日本の「定期券」というのは、経路が指定されて発券されて、その経路通りに使わないといけないものがほとんどだ。たとえば、新宿から市ヶ谷までの定期券をJRの定期券として購入したら、JR中央線の新宿?市ヶ谷しか使えず、都営地下鉄で市ヶ谷に行く時は別料金を払わないといけない、といった具合だ。ところが、ヨーロッパの都市の定期券はゾーン制を取っているから、ゾーン内なら好きに使って構わない。ウィーンなら、ウィーン市内で1ゾーンだから、「ウィーン市内」の「定期券」を買えば、市内のどこに行くにも自由自在だ。市外に行く場合だって、市の端の駅からの切符だけ買えばいい。

「ウィーン市内」の定期券には、1週間(14ユーロ)、1ヶ月(49.50ユーロ)、1年(449ユーロ)の3種類がある。(このほかに26歳未満の学生用定期が毎学期(4ヶ月有効)ある。)1週間券と1ヶ月券は金額的に大差ないが、1年券を買うと1ヶ月券と比較して25%くらい安い計算になる。定期券があれば、だいたい札幌と同じ規模の街の中を自由に行き来してもらえると思えばいい。地下鉄5路線、31路線ある路面電車、91路線あるバス、それに23路線あるナイトバス(終電から始発までの間に30分おきに運行されるバス)の全てを使える。さらに、市内の国鉄路線、バーデン線と呼ばれる第3セクター鉄道の市内区間も使うことができる。ちなみに、ウィーンの市内の1年定期券の利用者は33万人だそうだ。ウィーン市の人口が約170万人なので、5人に1人以上が1年定期券を持っている計算になる。

このようなことが可能になる背景は3つある。1つは「運賃箱収入」と呼ばれる、運賃でコストをカバーする割合が低くてもよし、とされるところにある。公共交通機関の公共性を認めて、鉱油税(ガソリンなどに課税される)などを公共交通機関の運営に投入している。ウィーンの場合、運賃収入がコストをカバーする割合は約5割、残りの5割のコストは税金を直接投入することでまかなっている。

2つ目の背景は、全ての公共交通機関が「運輸連合」の下に統合されている点にある。運輸連合(Verkerhsverbund)というのは、ある地域の公共交通すべてを統合するための機関で、全ての公共交通運営会社が加盟している。公共交通機関同士が競合しないように、ルートの調整を行うのが大きな仕事の1つ。もう1つの大きな仕事が、運賃を運輸連合で収受して、各会社に配分する機能だ。この運輸連合があるから、1枚の定期券で会社を気にすることなく公共交通機関を使うことができるのだ。

3点目の重要な背景は、インフラそのものを公共交通に誘導するように整備している点だ。ウィーンの道路を見ていると分かるが、一方通行が非常に多い。市内中心の環状道路であるリンク通りですら、3車線あるにも関わらず一方通行だ。Neustiftgasseのような主要な通りでも一方通行というのは実に多い。さらに、ウィーン市内の人が住んでいるほぼ全ての箇所で、概ね300m(=徒歩約5分)圏内に停留所や駅が必ず設置されるように調整されている。だから、公共交通に「物理的な」優位性を与える努力がなされている。(経済的優位性より物理的優位性の方が行動をより制約するから重要だ。)

こうやって眺めてみると、「公共交通」に対するスタンスは日本とここでは大幅に違うことがおわかりいただけるだろう。営利事業と非営利事業という根本的な差が実は根底にある。

関連する面白い話しはまだまだたくさんあるが、それは機会を改めて書くことにする。

ウィーンの路面電車。一部地下になっている区間がある。

ウィーンの路面電車。一部地下になっている区間がある。

マクドナルドのウィーン弁なローカル広告

ウィーンでは時々「ウィーン弁」での広告を見かける。去年はビール(Ottakringer)のが多かった。最近は、マクドナルドが市内のあちこちに出していた。いくつかバージョンがあったが、写真はその1つ。

一瞬「何語だろう」と思う広告。

一瞬「何語だろう」と思う広告。

ちなみに、私は「他に開いているお店がない」という状況で消去法的に選ぶ以外、マクドナルドにはまずいかない。

雪が降る、雪が解ける、雪が落ちる

東京がそうであるらしいように、ことしはウィーンでも雪が多いようだ。確かに、昨年や一昨年より雪の日が多い気がする。積もる量も多い。12月にはマイナス15度まで下がった日もあった。(その日は土曜日で、友人らとクリスマスマーケットに行こうと思ったが、さすがに諦めた。)最近は気温は穏やかで、最低気温はマイナス、日中数時間だけプラスの気温になる、という日が多い。

さて、雪そのものを見ているのは楽しいのだが、問題は降った後に少しだけ暖かくなった時である。まず厄介なのは、大量の融雪剤。これで雪が解けて黒くなって見栄えが悪いし、靴にも融雪剤が付着してしまい白くなる。

それ以上に危険なのは、解けた雪が屋根から落っこちてくることだ。ウィーンで特に危ないと感じるのは、雪がプラスの気温の日に一度溶けかかったものの、屋根の上に溜まったままになっていて、それが夜になって凍り付き、次の日(あるいは翌々日以降)に気温が再度プラスになった時に、氷ごと一気に落ちてきてしまう、というケースだ。この間も、目の前1メートルくらいのところに、30cm×15cm×10cmくらいの大きな氷雪の固まりが落ちてきた。5?7階建ての建物の屋根から落ちてくるから、それなりのスピードになっているし、重たいので破壊力がある。頭を直撃したら即死するのではないかと思うほどだ。

また、山間部で危険なのは屋根からのなだれ。1m以上屋根に積もった雪が、少し暖かい日になると「どさ」っと落ちてくるのだ。この間、1m×1.2m×70cmくらいの雪の固まりが、自分の10m先くらいで屋根から落っこちてきた時はびっくりした。直撃されたら、首の骨くらいは折りそうだ。

雪そのものは見ていて楽しい。郊外に行けばきれいな雪景色が見られるし、ウサギが雪野原を駈けているのを見たりするとほのぼのする。だが、街中の雪だけは、どす黒くなってしまったり、暖かい日に上の方に注意を払っていないといけないという点、厄介だ。

英語とドイツ語と日本語のはざま

最近、英語で公式な文章を書いている。英語は苦ではないが、やはり英語は母国語でないから、書くにはそれなりに苦労する。特に公式な文章となればなおさらだ。私の英語の表現が必ずしも的確でないことがあるから、基本的にはネイティブのチェックを受けることになる。私は基本的に英語教師(あるいは英語教師経験者、英語を母国語として他の言語を教えている人)に依頼しているので、こういったケースは「ふむふむ」と学ぶことが多い。

さて、問題はドイツ語を母語とする人が文章をチェックする場合である。研究室という場所で作業をしているから、このような共同作業的な側面が必ず生じる。この場合が、実にややこしい。

ひとまず、ドイツ語を母語とする人が私の英語をチェックする。そうすると、当たり前だが、ある程度修正を食らうことになる。そうすると、大幅に修正を食らうことになる。それには幾通りかあって、(1)私の単語のチョイスが不的確な場合や、単語や文章が日本語に引っ張られている場合、あるいはよりよい単語が見つかる場合、(2)私の(theなど冠詞を忘れている場合といった場合も含めた)文法的な面のミス、(3)修正する側がドイツ語に引っ張られて、正しい表現を誤った表現に修正するケース、(4)書く人のテイストにより異なるものを「自分テイスト」に修正されるケース、がほとんどである。(1)と(2)は私のミスであり修正されるべきものだ。また、(1)からは学び取ることが多い。問題は(3)と(4)のケースである。

(3)の代表的な例は「データ」だろう。ドイツ語ではDatenとなる。Datenはいろいろな意味になり得るが、Datumの複数形でもある。それにつられるのであろう、Dataと書くと、いつもDatasと複数形に修正される。しかしDataは基本的に不可算名詞扱いで使うから、Dataで良いはずだ。英語では「Datum」という形式もあるらしいが、普通は使わない。

(4)の例は、たとえば「仮説」という単語に対してSupportを使うかVerifyを使うか、あるいはUnfriendlyという単語を使うかAdverseという単語を使うかという類のケースだ。どちらでもいいと言えばどちらでもいいのだが、前者はモノの考え方(ある種の科学哲学)を反映しているし、後者はわかりやすさという点ではUnfriendlyだしエレガントさという点ではAdverseである。自分の書いた文章を、ここら辺のレベルまで直されてしまうと、なんだか自分の書いた文章が自分の書いた文章ではない気がしてくる。が、修正する側にも一理ある。とはいえ、このケースは、ある種の「文体」の域の問題であることが多い。

さらに、これらのややこしさを加速させるのは、現在書いている文章たちが、英語を読み書きできるが、必ずしも母語としてはいない専門家に読んでもらうものである、という点である。そのために、私はなるべくシンプルな英語で書くように努めているし、入り組んだ表現などは避けるようにしている。だが、正確さを失わずにシンプルに書くための配慮をした部分を修正されてしまうことがある。

こうなってくると、自分の文章能力がないのか、英語の文章の書き方のセンスが悪いのか、そもそも英語で文章を書くこと自体がへたくそなのか、単にセンスやテイスト(文体)の問題に振り回されているのか、だんだん分からなくなってきて頭が疲れてしまう。しかも、本質的な「内容」の部分ではないから、なおさらだ。

前にも書いたように、ドイツ語というのはある種の「かちっとした」書き方の様式があって、それに則(のっと)って書いていれば文章になる。一方、英語の文章というのは実にバラエティーが広い。そんなことも考え始めると、修正されてしまう文章だって、本当は自分の文体として許容される範囲なのじゃないかと思ったりもする。まあ、とはいえ日記を書いているわけではないから、読み手に伝わらない文章を書いても無意味なので、たいていは修正を受け入れるわけだが、どうにも腑に落ちなかったりするのである。

もうしばらくはこの狭間で悶々としている気がする。さて、いつになったら抜け出せるのだろうか?

ロリン・マゼールとヴァレリー・ゲルギエフ

ロリン・マゼールが自作「Farewell」とブルックナーの交響曲3番を演奏していた。Farewellの方は、熱帯のジャングルの中にでもいるような音の音楽の印象。どこかストラヴィンスキーっぽさを感じたのは私だけではなかったようだ。30分ほどの曲だが、この長さが限界の感じ。ブルックナー3番はよくまとまっていた。第3、4楽章が特によし。マゼールの指揮台の上での元気さは、とても80歳とは思えない。

ゲルギエフは、ロンドン交響楽団をひっさげ、ブラームスのバイオリン協奏曲。ソリストはレオニダス・カヴァコス。最初のうち(特に第1楽章)はなんだかふわふわしていた感じがしたが(特にオーケストラ)、後半はブラームスの曲らしいどっしりした感じになっていった。これは偶然なのか、計算された聴かせる技なのだろうか。後半はストラヴィンスキーのペトルーシュカ。自分が持っているラトルの録音に凄く似ているような・・・(まあそりゃそうなるか)。アンコールの曲が、昔から知っている曲なのに、誰の何なのか思い出せない。

最近、クラシック音楽から少し離れていた気がする。もう少しチャンスを生かしてみよう。来週はバレンボイム(ピアノ。指揮じゃないよ。)、再来週はランラン。来月には Deutsches Symphonie-Orchester Berlinがやってきて、ベートーベンのバイオリン協奏曲をレオニダス・カヴァコスとやるので、行ってみようかしらん。

ゲルギエフとロンドン交響楽団。楽友協会にて。

ゲルギエフとロンドン交響楽団。楽友協会にて。

ウィーンとワイン、WienとWein

ウィーン周辺には「ホイリゲ」(Heurige)と呼ばれるワイナリーが直営している居酒屋が多い。もともとは16世紀にウィーン市がオスマントルコに包囲されていた時代に市民が近隣の農家にワインを直接買いに行ったのが始まりらしいのだが、現在では市街地はずれのワイン畑に面したあたりに集まっている。

代表的な場所は19区のグリンツィング(Grinzing)だが、ここはちょっとツーリスティック(観光客向け)だ(路面電車38番の終点周辺)。あまり観光客が押し寄せないところとしては、同じ19区のノイシュティフト・アム・ヴァルデ(Neustift am Walde)からSalmansdorfにかかて(市バス35Aの終点付近)、21区のシュタマースドルフ(Stammersdorf)から市外に出たビーサムベルク(Bisamberg)あたりまで、そして23区のマウアー(Mauer)のあたりが代表的だ。個人的には、Bisambergが好みだが、行くのが少々大変なのが難点だ。(ここにあるTerassenheuriger Martin Trimmelはオススメ。ただし旅行者向きではない。外のテラスが夏は見晴らしが良く、冬は室内の暖炉の香りがよい。ドイツ語しか通じない。)

上記の「Terassenheuriger Martin Trimmel」の入り口。

上記の「Terassenheuriger Martin Trimmel」の入り口。

ホイリゲとは正式名称ではなく、正式には「ブッシェンシュランク(Buschenschrank)」という。「Heuriger」と名乗る所も多いが、伝統的な所は「Buschenschrank」と名乗るところも多い。Buschenschrankには独自の法律が適用され、本格的な食事を出すことはできないため、軽食しか出さないところが基本的だが、レストラン免許を取得して本格的な食事を出すところも多い。ワインはもちろん自家製が基本だ。家族経営が多いが、企業化されたホイリゲもある。

ウィーン以外にも、南に30kmほど行ったバーデン(Baden)周辺、南東に50km程離れたノイジートラー湖周辺、北西に50km程はなれたヴァッハウ渓谷、ウィーン空港から程近いBad Deutsch Altenburg周辺、北東の「ヴァインフィアテル(ワイン・クオーター)」(Weinviertel)と呼ばれる地域にはホイリゲが多い。ヴァインフィアテルにはWeinvierteller Kellergassenというものまであって、夏ならサイクリングをしながらワイナリー巡りができる。

ところで、ウィーンはドイツ語のスペルで「Wien」だ(発音は「ヴィーン」)。ワインは「Wein」だ(発音は「ヴァイン」)。「i」と「e」を入れ替えるだけだ。だから、Wienと打とうとしてWeinと打つタイプミスを私はよくやってしまう(Weinに住んでいるなんて、なんだか酒を浴びそうで怖い。)。しかし、私だけではないらしい。とある中華系スーパーのホームページの住所には、堂々と「Wein」と書いてあった。

住所に着目。WienではなくWeinになっている。

住所に着目。WienではなくWeinになっている。

ウィーン市内からブラティスラバ空港への行き方

ブラティスラバ空港には、ウィーンの「格安の拠点」として、ライアンエアーなどが乗り入れている。ライアンエアーは近年どんどん路線を拡張していて、イタリアのプーリア地方のバリや、シチリア島のトラパーニなどに路線を開設するそうだ。利用する価値がありそうだ。

そこで問題になるのは、どうやってブラティスラバ空港まで行くかである。距離にしたら50km強だが、なんせ、ブラティスラバは隣国スロバキアの首都である。言葉すら、ドイツ語からスロバキア語に変わる。

1つ目の方法は、直通バスを使うこと。ウィーンのSüdtirolerplatzから直通のバスが出ている。時刻表はPostbusのページからダウンロードできる。(Fahrplan DownloadをクリックするとPDFが開く。)ただし、この方法の難点は、バスが満席だと乗れないことである。事前に予約することなどが必要だろう。私は1度満席で乗れなかったことがある。なお、このバスは、ウィーン空港、ハインブルク、ブラティスラバ中心部にも停車する。

2つ目の方法は、鉄道と市バスを組み合わせる方法だ。ウィーン南駅(Wien Südbahnhof)から、Wien Simmeringを経由して、ブラティスラバ中央駅(Bratislava hl.st.)まで行く列車が1時間に1本程度運行されている。所要時間は50分?1時間。時刻は、オーストリア鉄道の時刻検索ページで調べられる。片道8ユーロ強だ。ブラティスラバ中央駅についたら、駅前から61番の空港(スロバキア語で”Letisko”)行きバスに乗る。所要時間は25分程度だ。バスは20分おき(05分、25分、45分)にあって、時刻表は市バスのページで調べられる(左上で英語に切り替えられる)。チケットは、キオスクで70セントで購入して、乗ったらヴァリデート(刻印)する。61番の乗り場は、駅目の前のバスプールの中にある。私はたいていこれを使う。

このどちらかが便利な方法だ。他にも、ライアンエアーなどと提携してWien Erdbergから出るバスもある。

What a Wonderful World を、こんなに哀愁漂わせながら唄うことができる街はあるだろうか?(サラエボ)

Louis Armstrong の What a Wonderful World を、こんなに哀愁漂わせながら唄うことができる街はあるだろうか?(この曲を知らない方もいるかも知れないが、Youtubeで検索すればいっぱい出てくると思う。数年前にソニーのCMで使われていたと記憶している。)というのが、サラエボの一つの感想だ。Sarajevska Pivara (サラエボビール醸造所)のレストランで突然始まった、ジャズの演奏。店内のどこかけほんのりしたけだるさがある空気も手伝って、全体として哀愁のあるものだった。中でも、よく知られたこの What a Wonderful World を、こんなにも哀愁漂わせて唄えるとは思わなかった。

サラエボは、現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都であり、1984年には冬季オリンピックも開催された都市だ。1990年代の内戦の時代には、ほぼ3年にわたってセルビア系勢力に包囲された。当時発行された Sarajevo Survival Guide も有名だ。歴史をたどれば、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が市内中心で暗殺され、それが第一次世界大戦を引き起こした。その前は、オスマントルコの北西の辺境に近い重要な都市であったところだ。

街も興味深い。16世紀頃の、オスマントルコの時代の地区。その後19世紀にかけての、オーストリア=ハンガリー帝国の時代の街並み、その外側には20世紀の共産主義時代の街並みが続いている。様々な文化が共存している。が、どれもが混淆せず、それぞれに分かれているところが、この町の特殊さを現しているだろう。

サラエボから鉄道やバスで3時間ほどのモスタルには、内戦で破壊された建物がまだ数多く残り、さらにスターリ・モスト(古い橋)の破壊と再建という「内戦の傷跡」が色濃く残っているところだ(参考)。だが、サラエボの街そのものには、そういった形での内戦の目立った傷跡や象徴的なものはあまりない。目抜き通りの地面の所々に「赤いバラ」と呼ばれるペンキを塗ったところがあり、これが内戦中に死者が出た爆発地を示しているくらいだ。

考えてみれば、常に辺境にあった、と言ってもいいような街だ。オスマントルコ時代も、オーストリア=ハンガリー帝国時代もそうだ。さらに、皇太子暗殺とや内戦という暗い歴史も背負っている。オリンピックすら、立ち上がる力にはなりきれなかった。そんな「やるせなさ」のようなものが、町中あちこちに染み出しているような気がする所だった。と同時に、その中でも明るさを持って多くの人が暮らしていることが、不思議でもあり、驚異的ですらある、とも思える街だった。

オスマントルコ時代からの地区。モスクが数多くある。(右にモスクの尖塔が見える)

オスマントルコ時代からの地区。モスクが数多くある。(右にモスクの尖塔が見える)

手前の平屋がオスマントルコ時代からの地区。奥の石造りはオーストリア=ハンガリー帝国時代のもの。

手前の平屋がオスマントルコ時代からの地区。奥の石造りはオーストリア=ハンガリー帝国時代のもの。

JALの会社更生法、羽田空港と新幹線

JALが会社更生法の適用を申請したようだ。まあ、これは前にも書いたりしていた通りで、結構昔の段階から、破産法のどれか(会社更生法ないし民事再生法)を適用しないと国際的な競争力を再び持つことは不可能に思っていたので、特にコメントすることはない。

問題は、「羽田空港:新幹線乗り入れ 前原国交相がJR東海に打診」の方だ。リンクした毎日新聞の記事を要約すると、

  • 前原国土交通大臣が、2009年12月27日に、フジテレビの報道番組で、浜松町付近から分岐して東京都品川区八潮にある大井車両基地に伸びる回送用の線路を羽田空港まで延伸する考えがあることを示した。
  • JR東海(筆者注:線路を保有している)にも打診したが、「断りの返事」があった。
  • 今後も実現可能性の検討を続けていく。

ということだ。テレビ朝日のYoutube版なども参考になるだろう。

アイディアとしては、別に目新しいものではない。私も同じことを昨年10月13日付けで書いている

  • 東京と各都市間の移動や、羽田発着の国際線から国内線への接続は、短中距離区間は新幹線、長距離区間は飛行機と、距離に応じて役割分担をするように政策的に調整するべきである。
  • 羽田空港に新幹線を接続するべし。大井車両基地への回送線を活用できる。横浜側も新線を建設する。
  • 本州内のフライトなどは、その役割を新幹線に譲り、羽田のスロットをあける。
  • 新幹線列車には、飛行機のフライト・ナンバー(便名)をつけられるようにする。さらに、新幹線の線路上に、航空会社が独自に列車を走らせることが可能になるようにする。
  • 空いた羽田のスロットは、国際線向けに割り振る。ヨーロッパやオセアニア方面とも結ぶ。
  • 上記のようなインフラ施策+制度的施策を組み合わせたら、羽田はもっと使い勝手のいい「ハブ空港」になるだろう。

だいたい、上記のようなものだ。別に目新しい話しではなくて、ドイツのフランクフルト空港では1980年代から実施されてきたことだし、パリのシャルル・ドゴール空港とアムステルダムのスキポール空港との間ではエールフランスKLMが既存の高速鉄道インフラを使った独自の列車の運行を計画している(つまり、ユーロスター、TGV、Thalysなど既存の列車が走る同じ線路の上を、エールフランスKLMブランドの高速鉄道を走らせる、という計画)。

ところが、これに対する日本国内の反応は、悲しいかな、「空港に新幹線を接続する」というアイディアの様々な可能性を全く考慮できていないようだ。

典型は、(どういうわけか)Yahoo!知恵袋にあった質問とそれへの回答である。(前原誠司国土交通相の羽田空港新幹線乗入れJR東海に打診発言、それと今迄の発言…)。「ベストアンサー」に選ばれているplanets8さんという人の回答。

東京ー羽田に新幹線を走らせたら、その分東京ー大阪の本数を減らさないといけませんので、JR東海に大打撃となります。JR東海が拒否するのは当然です。

現状羽田へのアクセスは京急とモノレールですが、現状でもそれほど混雑しているわけではありませんし、来年春には京急が大幅に羽田への輸送力を増強しますので(中略)こういった話はその効果を見てから検討した方が良い話だと思います。今検討しても、来年には状況が大幅に変わってしまうわけですので無駄になってしまいます。

というもの。要するに「羽田に新幹線を乗り入れると、JR東海側のキャパシティーが小さくなって本業で儲けられなくなるから、無理だろう。京急だってキャパが十分にあるし。」というものだ。似たような議論は、いくつかのブログや掲示板を見つけたが、いろいろなところで行われているだろう。(空港まで新幹線(笑々笑々笑々http://yomi.mobi/read.cgi/hobby9/hobby9_rail_1179979118など)

しかし、こうした議論は視座が狭い。これらは、羽田への新幹線乗り入れは、あくまで首都圏の羽田空港利用者のためのもの、と考えているのであろう。羽田空港が開港して以来そうであったように、「羽田空港の集客域=首都圏」という考えを前提にしているのであろう。

だが、羽田に新幹線が乗り入れて本領を発揮するのは、首都圏の人たちが使う時ではない。重要なのは政策的に距離帯に応じて交通手段間の需給バランスを調整して、それぞれの交通手段が最も得意とする距離帯で「棲み分け」させる時だ。しかし距離に応じて棲み分けするだけなら、空港に乗り入れる必要はない。航空と鉄道が結節して交通ネットワークの得意分野を担って相互補完的になるようにするときに、羽田へ新幹線が乗り入れることが本領を発揮する。

想像してみて頂きたい。ANAのフライトナンバーがついた新幹線が新潟まで走るとか、アメリカン航空のフライトナンバーがついた新幹線が岡山まで走る、といった様子をだ。あるいは、長野駅で羽田空港発ロンドンヒースロー空港行きのヴァージン・アトランティック航空にチェックイン。荷物も預けて、あとはヴァージン・アトランティック航空がJR東日本とコードシェアをしている新幹線で羽田空港まで。そこから飛行機に乗り換えてヒースロー空港へひとっ飛び。長野駅で預けた荷物は、ヒースロー空港で無事受け取れて、めでたしめでたし、というものができる。あるいは、サンフランシスコの空港でANAの羽田行きフライトと、羽田から新大阪駅までのコードシェア・フライト(実体は新幹線)にチェックイン。新大阪駅の「空港コード」は「○○○」かあ、と航空券を眺めて知る。といった様子をだ。今挙げたのはほんの一例で、政策次第によっては無限の可能性があると言っても過言ではないだろう。「JRがANAと提携してスターアライアンス・リージョナル・パートナーに」などという姿だってあり得る。(スターアライアンスのロゴがついた新幹線が走る、なんてどうだろう?)

別に目新しい話しではない。すでに、ANAは、ドイツ鉄道と共同で、ドイツ鉄道が運行するICE(日本の新幹線相当)にANA便名をつけて、自社のフランクフルト便利用者と鉄道の接続をはかっているのだ(ドイチェバーン・コネクションサービスのご案内)。フランクフルトから、新幹線の所要時間にして1時間?1時間40分程度の、ケルンやデュッセルドルフ、シュトゥットガルトまでは、「ANA便名が着いた列車」で行けるのだ。さらに、ドイツ最大手の航空会社であるルフトハンザ・ドイツ航空とドイツ鉄道は、この手のサービスを1980年代から行っているのだ。今や「フランクフルト空港長距離列車駅」は、空港利用者だけではなく、ICE(日本の新幹線相当)相互の乗り換えにもしばしば使われている駅になっている。

このような施策を「モーダル・シフト」という。鉄道やバス、航空機や船、徒歩や自転車といったものを、専門的には、交通の「モード」という。ある地 点からある地点までの全移動(トリップ)が、それぞれの交通手段に何%ずつ割り振られているかを表すのを「モーダル・スプリット」という。「モードの分 配」という意味だ。つまり、各交通手段のシェアである。このシェアを、様々な面でロスが少ないように、最適なモードにシフト(移行)させるのが、「モーダル・シフト」だ。「羽田に新幹線乗り入れ」に代表されるモーダル・シフトは、長距離輸送における、航空から鉄道へのモーダル・シフトである。

このモーダル・シフトを推進する施策の可能性が日本国内でないわけがない。あまり航空機向きではない中途半端な近距離の路線を大幅に減らせて、羽田空港のスロットは空くので、国際線も含めた、飛行機向きの長距離フライトに割り当てられる。1人1kmを運ぶために必要なエネルギーは鉄道の方が圧倒的に少ないから、環境面でも大きなメリットがある。それに石油エネルギーを使わなくてもよくなる。航空会社にとってはメリットが多いだろう。

さらに、JRにとっても、乗客をさらに増やすチャンスになる。「東京?大阪に飛行機が飛んでいる必要なんかないんです。」と講演で言っていたのは、JR東海の葛西会長だ(東京大学工学部講義「産業総論 2005年冬学期」)。羽田に新幹線が乗り入れることを含めた、モーダル・シフトの施策を本格的に実施すれば、それこそ「東京?大阪に飛行機が飛んでいない状態」が実現することにもなり得る。

幸い、このような視座に立った議論も見かける(新幹線の羽田空港乗り入れは急ぐべき?前原大臣の提案は羽田ハブ化促進策になる)。だが、まだまだ少数派であるのが現実のようだ。日本での議論はどこか内向きなように思われる。「何も新幹線を運行するのがJRじゃなくっていいじゃない」くらいの柔軟な考え方からスタートして、もっといいアイディアを出し合えたら、上に書いた「ドイツの施策の二番煎じ」を超えた新しい長距離交通体系になっているかもしれないのに。この「内向きさ」は残念だ。そして、単に羽田空港に新幹線が乗り入れるかどうかの議論に終始するだけではなくて、より効率的かつスマートで使いやすく環境にフレンドリーな、長距離交通体系の構築をどうしていくか、という議論にしていくべきだ。