スプーンの使い方に関する観察

ここ2ヶ月ほど、オーストリア人と日本人の「スプーンの使い方」を折に触れて観察していたが、興味深いことに気づいた。欧米人とアジア人、と一般化できるかもしれない。ポイントは、スープを飲む/食べる時の使い方の差異だ。固形物を食べる食べ方は共通だ。なお、スプーンだけでなく、中華料理に使われる「れんげ」でも基本的に同様だ。また、スプーンは標準的な「たまご形」をしたものである。

オーストリア人がスープを食べる時は、スプーンですくい、先端からスプーン全体を口の中に入れて「食べる」。固形物を食べる時のスプーンの使い方と同じだし、ここに由来するのだろう。この食べ方だと、液体をすする音も発生しない。なお、基本的に器を口にあてて飲むことはしない。スープを入れるのは「皿」であり、「椀」に入って出てくることは、ランチメニューやアジア系料理を除くと、あまりない。

日本人がスプーンを使ってスープを飲む時は、側方を口に当てて「飲む」。スプーン全体を口の中に入れることは、この場合は物理的に不可能だ。液体をすする音も発生する。ちょうど、れんげでスープを飲む時に側方を口に当てて飲むのと同じだろうし、由来もここにあると思われる。

ちなみにオーストリア人がれんげを使う場合も、スプーン同様に先端から口にあてる人が多い。ただし、大きいため口全体にれんげを含むことは難しいから、先端から流し込んでいるようだ。

なお、日本語ではスープを「飲む」というが、ヨーロッパの言語では、スープには「食べる」という動詞(英語の eat やドイツ語の essen )を使う。スプーンの使い方の動作と関連しているような気がして、おもしろい。

オーストリア航空の路線縮小

赤字経営が続くオーストリア航空も、路線の整理に乗り出した。オーストリア国内の短距離路線である、ウィーン?グラーツとウィーン?リンツ、ウィーン?クラーゲンフルトのフライトが廃しされる見通しだ(DerStandard)。シュタイアマルク、州政府が補助しない限り廃止される見通しだ。(州政府が補助するなら、EUが定める「公共サービス義務」制度を使う必要があるだろう。)なお、これらのフライトはコードシェア便で、ANAの便名がついているものも一部にある。

ウィーン?ブダペスト間の幹線鉄道を付け替えて、ウィーンの空港に乗り入れる案も浮上している。Zentralfriedhof貨物駅周辺での路線の付け替え、ウィーン空港までの既存路線の改良(主に信号設備と、貨物用の測線の整理)、ウィーン空港から先は既存の貨物線のアップグレードなどをすればよい。フランクフルト空港とドイツ鉄道、ルフトハンザ・ドイツ航空が行っているように、オーストリア連邦鉄道(ÖBB)の列車に航空便の番号を付けてチケットを販売する方法などが可能だろう。2013年にウィーン中央駅が完成すれば、各方面への直通は格段に容易になる。

一方で、戦略的な路線の増強も行われている。その一つがイラク北部のErbilへの路線の増便だ。現在週3便飛んでいるオーストリア航空のフライトが、夏から週5便になるという。さらに、湾岸戦争以来運行されていない、フランクフルトからバグダッドへのルフトハンザ・ドイツ航空の便の再開もこれに加わるそうだ。(DerStandard

普天間基地を抱える宜野湾市長の興味深い指摘

このところ普天間問題はあれこれ騒がれているが、宜野湾市の伊波洋一市長が興味深い指摘をしている。指摘の内容の詳細は、「田中宇のニュース解説」の記事や、日本テレビで放映された宜野湾市長への30分インタビュー(全編ノーカットで動画で見られる)、朝日新聞沖縄版(オンライン版)の記事などを参照していただきたい。

筆者なりに要約すると、市長が指摘している点は、

  1. 在沖縄海兵隊の移転の議論は、「定員」をベースに行われているが、実際に定員が充足されているわけではない。沖縄には18,000人の海兵隊員がいることになっているが、実際には12,000人強しかいない。(つまり隊員の実数は定数の2/3程度である。)
  2. 「2006年の日米合意」の後に、米国国防総省は、「グアム統合軍事開発計画」を策定している。この計画と、その環境影響評価報告書によると、普天間基地に駐留する海兵隊の部隊(実際の数は約2000人)は、グアムの基地内に新設される場所にすべて移転する。
  3. 「普天間飛行場」の移設が日米合意に組み込まれているが「普天間基地に駐留する部隊」の移転とは切り離されている。
  4. 仮に代替の飛行場を建設したとしても、「グアム統合軍事開発計画」が予定通り2010年6月以降に実施されれば、代替飛行場に駐留する部隊はいない。つまり駐留する部隊のいない軍事施設ができることになる。
  5. 従って、そのような代替飛行場を新たに作る必要はない。

というものである。市長の指摘のポイントは、一つはアメリカ政府側が公表している資料をもとにしていることである。もうひとつは、「軍事施設」ではなく、「駐留する部隊」の隊員数やヘリコプターの数の側から議論していること。従って、日本のマスコミが大騒ぎしている観点とは大きく異なっている。市長の言うとおり、米軍自身が実施しているグアムへの移転計画が予定通り実行されれば、代替施設は空っぽで意味のないものになる。そんな施設に多額の税金を投入するのは、税金の無駄遣いそのもの、というわけだ。(沖縄の土建業界は儲かるが。実質的に「公共事業」と同じではないかというのは、私の友人の指摘だ。)

さらに、アメリカ側が「現行の移転計画」として指しているのは、2006年の日米合意ではなく、「グアム統合軍事開発計画」ではないか、という考えも浮かんでくる。「それでなければダメ」というのは、別に日米合意ではなく「実はグアム移転計画でした」なんていういいわけができる言い方をしているように見える。

米軍再編の中で沖縄の海兵隊がグアムに移転する計画を米軍自身が立てているということは、米軍自身が、しばしば指摘される「朝鮮半島有事」の時には、グアムからで十分対応できると考えていることを示している。しかも、「朝鮮半島有事」など実際には起りそうになく、単にプロパガンダのためのものとして使われている感が強い。

アメリカにとって沖縄の海兵隊基地が「オイシイ」理由は、思いやり予算でお金がたっぷりもらえて「タダ飯を食える」点を田中宇が指摘しているが、それ以外にもあるだろう。沖縄の海兵隊基地は隊員集めの広報用にオイシイ基地であるらしいのだ。アメリカには徴兵制度がないので、志願した人だけが隊員になるのだが、米軍は隊員集めにかなり苦労している。学生に奨学金を出して学費を免除したり、ニューヨークのタイムス・スクエアなど一等地に隊員募集用の広報センターを設けたりしないと、隊員が集まらないのだろうだ。(そのあたりの事情は「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤 未果 著, 岩波書店, 2008)に詳しい。)

沖縄の基地は、やるべき仕事が余りなく暇で、イラクなどに派兵される心配もなく、攻撃される可能性もほぼないので、いわば「やりたい放題できる」基地らしい。そういった基地に駐留して帰ってきた隊員は社会に復帰して自らの「よい経験」を語り、次の世代に隊員になることを宣伝してくれることが多々あるだろうが(昨年ボストンに行った時に、列車で隣席になった沖縄の海兵隊に駐留経験のあるという若者が、沖縄での駐留経験を満足げに語ってくれたのもその一部だろう)、イラクやアフガニスタンに派兵されて帰ってきた隊員は心理的な後遺症に悩まされ社会復帰が難しいとも聞くし、自らの「辛い体験」を積極的に語ることも少ないだろうから、宣伝役にはならない。そんなのんびりした米軍基地など世界中にほとんどないだろうし、そんなオイシイことができる基地に必要なカネは日本政府が出してくれるのだ。だが、逆に言うと、沖縄の海兵隊基地が沖縄にあるべき米軍側の理由は、実はこれらだけ、ということにもなってくる。

この件に関して民主党がやっているのは、前のJAL関連の記事に書いた「のらりくらり」作戦と同じものだろう(田中宇も同趣のことを指摘している)。一気にやったらマスコミにそうたたきにされるし、日本の有権者自体も一瞬では思考を転換できないが、徐々に変えていくことはできる。「のらりくらり」作戦は当面続くだろうが、最後は沖縄の海兵隊は全部グアムに移転しておしまい、になるのではないだろうか?(あるいは、戦術的に少し配置する程度は残すのかもしれないが。なお「戦略的」ではない点に注意。)

長期的には、軍備そのものが余り役に立たない時代が来るかも知れない。(現実に、自衛隊が普通の人にとって最も役立つのは、災害時の救助活動などになっている。)日本のマスコミの情報を真正面から拾っていても、そのような姿は見えてこないのだが、5年や10年というスパンで大きく変わっているような気が、ウィーンから見ているとするのだ。(東アジア共同体だって、15年もたてば現実にできているのではないだろうか?。日本が参加するかどうかは、日本の政治状況によるだろうが。15年先の世界は「あり得ない」と思っていることが起っているかもしれない。今から15年ほど前には、韓国に行くのにビザが必要だったそうだし、当時「韓流ブーム」が起ることなど誰が予想していただろうか?同様に、20年前には、ドイツはまだ2つに別れていた。)

JALにやっとこさで会社更生法

JALにやっとこさで会社更生法が適用される手はずが整ったようだ。ずいぶん前にいくつか書いたが、その後はメディアの動きを時々見ていたが、正直なところ「ずいぶん時間がかかったなあ」というのが印象だ。

ちょっと振り返れば、8月に「日本航空の経営改善のための有識者会議」なるものが設立されたが(国土交通省の報道発表資料を参照)、衆議院議員選挙の期間中であって、あまり表だった動きはなかった。その後、政権が変わって鳩山内閣となった後に、「JAL再生タスクフォース」なるものが「国土交通大臣直轄の顧問団として」再建計画を策定していたのだ。

さて、そのタスクフォースの設置に関する国土交通省の「報道発表資料」によると、「再生計画の策定手順とスケジュール」は

・  再生計画は、日本航空が自主再建を図るための計画であり、日本航空自らが策定し実行する。
・  日本航空は、再生計画策定のために、新たに、本タスクフォースが妥当と認めた外部専門家と、日本航空の社内スタッフを選定する。
・  日本航空は、本タスクフォースの直接の指導・助言のもとで、再生計画立案のための調査と策定作業を行う。
・  国土交通大臣は、上述の手順を経て提出された再生計画案について、日本政策投資銀行及び関係民間金融機関の意見聴取を行い、本タスクフォースによる妥当性評価報告を受けた上で、再生計画の妥当性の確認を行い、その実行について日本航空を指導・監督する。

となっている(上記の「報道発表資料」(国土交通省)から引用した)。ここでポイントなのは、一つ目は、有識者会議もタスクフォースも、国土交通省のもとにあった組織だということだ。もう一つ、再生計画を作成するのは、「本タスクフォースの直接の指導・助言のもとで」ではあるが、あくまでJALが主体的に行う、ということになっている。

さて、その後「企業再生支援機構」なるものにゆだねられた。「企業再生支援機構」にかんして、内閣府の企業再生支援機構担当室なるところの資料を読むと、主務大臣は「内閣総理大臣、総務大臣、財務大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣(雇用関連部分)」である。ここに再建の手がゆだねられたということは、再建問題が、国土交通大臣の下にある問題から、より多くを巻き込んだ問題へとなっていった、という様子がうかがえる。その後の紆余曲折もあったが、結果的に、(まだ正式に公表されていないが、メディアの報道によれば)JALは会社更生法の適用の申請をすることがほぼ確定した、ということだ。

だが、JALが会社更生法を適用しないとどうにもならないことなど、最初から分かっていたのではないだろうか?日経新聞の1月9日付けオンライン版記事によると「最大5000億円の実質債務超過――。日本政策投資銀行は日航の資金繰り危機がささやかれた昨年8月時点で、すでにこう試算していた。」とある。とすると、どうしてこんなに時間がかかったのだろう?少し「遠い目」で見ていたので、その分析(?)を書いておく。

JALをいきなり倒産させることなど、多くの利害関係者が反対するだけにはとどまらず、多くの一般の人の目には「え?そんなこと、あり得るの?」と映るのではないだろうか?私の周りに話しを聞いても「え?あのJALが?」という日本人はかなり多い。多くの日本人には「JALは絶対につぶれない」「政府はJALをつぶすことは絶対にしないだろう」といった類の考えを持っていたと思われる。「JALのサービスは素晴らしい」という類の話も、世代を問わず聞く。だから、いきなり倒産させてしまうことには抵抗が多いだろう。新しい政権がいきなりそんなことをできるわけがない。もしそんなことをしていたら、マスコミは喜々として鳩山政権を批判するだろう。

とすると、会社更生法適用を念頭に、「JALはこれだけヤバイんですよ」というのを見せつける役割を担うものが必要だったと考えられる。そこで、国土交通省のもとの「タスクフォースの直接の指導・助言のもとで、再生計画立案のための調査と策定作業」をしたのではないだろうか?タスクフォースの作業中には、メガバンクが”反発”したりするなどもあったが、資産査定がなされて「2500億円の実質債務超過」(記事)に陥るなどしている姿がメディアを通じて広められた。その後はタスクフォースの報告書どおりに、内閣府などのもとにある企業再生支援機構が資産査定を再度行って、「8000億円超の実質債務超過」(前出の日経新聞の記事)という姿が明るみになってきた。「もう会社更生法しかないっしょ」という雰囲気がすっかり生まれているように見える。

JAL問題を長い目で見てみると、「国交省傘下の問題」から「政府全体の問題」となっていき(つまり問題がどんどん大きくなっていく)、さらに債務超過の程度もどんどん膨らんで行っている。そういう課程を経て、少しずつ問題の大きさをあぶり出しながら、「ヤバイ」ということを、一般の多くの人に刷り込んで行っているように見える。最後は、ほとんど予想されていた通りだと思うのだが、法的整理に落ち着くようである。

なんとも回りくどいやり方であるが、先に書いたように、一気に倒産させてしまえば政権のほうもぶっ倒れてしまうかもしれない。だから、少しずつ、政府の中でもいろいろな人がいろいろなことを言いながら、のらりくらりとしておいて、その間に世の中の多くの人を納得させつつ、もう会社更生法しかないよね、他の手はないね、というところまで追い込んでいったのではないだろうか。今思えば「もっと早く会社更生法を適用していれば」とも思うかもしれないが、JALにはよかったかもしれないが、発足当初の政権には大きなダメージになりえる。そして、もはや「政府がJALを倒産させることは絶対にない」と思っている人は、ほとんどいないはずだ。今JALが会社更生法の適用を申請しても、政権がぶっ飛ぶダメージはほとんどないだろう。

以上が、私が、少し遠い目でこの件を見ていて思ったこと(分析?)だ。

それにしても、そんな状況下ですら、関空では社員が誘導路で横断幕を掲げるほどに手が空いている(記事)んだから、暢気な会社である。筆者の友人の中国人(博士号を持っている人である)は「日本の空港に行くと、自動チェックイン機に社員が1人張り付いていて、自動化の意味がない」と言っていた。ちなみに、JALの損失の一因として燃油価格のデリバティブ取引を挙げている興味深い記事もある。

ウィーンの冬の日

本格的な冬になった。外は最高気温が氷点下という日が続いている。今(昼12時過ぎ)現在の私の部屋の窓の外にある温度計も、マイナス9度を指している。写真は昨日の夕方。

部屋の窓から外を見下ろす。

部屋の窓から外を見下ろす。

だが、クリスマスの頃には再度暖かくなるらしく、現時点での予報では、最高気温は10度だそうだ。暖かいクリスマスになりそうだ。

ウィーンの医療システムを垣間見た

先週末にインフルエンザらしきものに罹患したらしく、39度を超える高熱を出してしまった。時は日曜午前5時。医者がやっているわけがない時間だ。結果的に、ウィーンの緊急医療体制を垣間見ることになった。ちなみに、全体像は日本語でこちらのウェブサイトで紹介されている。

平日夜や週末に医師の診察が必要な場合、救急車を呼ぶ(144番に電話)以外の方法として、「Ärztefunktdienst」(141番)というものが用意されている。これは、当番の医者が、一通りの診察器具を持って家庭まで往診してくれるシステムだ。利用料は、公的な健康保険に加入していれば無料。私は、ウィーン地方公的医療保険Wiener Gebitskrankenkasse (WGKK) に加入していたので無料で利用できた。電話がつながるまでに15分?20分ほどかかったが、電話をしてから1時間半ほどで、医師と、補助をする救急隊員がやってきてくれた。

簡単な問診などを一通りしてくれて、その後は薬の処方箋を発行してくれる。「インフルエンザだね」と言いながら、処方されたのが抗生物質や解熱剤などだったので、細菌感染を防ぎながら自然治癒力で治せ、ということなのだろう。薬は薬局(Apotheke)に行ってもらってこないといけない。薬剤師会(Apothekerkammer)のウェブサイトに、住所から最寄りの薬局を検索できるシステムがあり(Apotheken -> Apotheken und Nachtdienstapothekenと開く)、週末や夜間に営業している薬局も検索できる。これを使ってみると、最寄りの薬局は1km以上離れていることが分かったので、ウィーンで医学部で勉強しているオーストリア人の友人に依頼して、薬を受け取ってきてもらった。薬代は10.50ユーロだった。薬は、市販の常備薬のような箱単位で処方される。抗生物質は1箱を飲みきったらおしまい。解熱剤は必要に応じて飲む、というふうに使う。

ウィーンで医者の世話になったのは実は初めてだ。基本的な月額の健康保険料が350ユーロ(45,000円以上)と個人の負担は大きいが(収入や社会的な立場などに応じて割引がある)、その分充実していると言えるだろう。

Globespanが倒産したらしい

イギリス(スコットランド)に本拠を構える格安航空会社のGlobespan(グローブスパン)が倒産したらしい。Globespanのウェブサイトに掲載されていた。

格安航空会社の場合、倒産するの経営体力が弱いケースであることが多いから、既に予約した航空券に対する返金などは望めない。上記のウェブサイトにも「会社は返金などのオファーをできない」と明記されている。

例によってRyanairが Globespan Rescue Fare を出している。BMI Baby (ビー・マイ・ベイビー), easyJet,? FlyBE, Jet2.com も同種のものを出している。

BAもストになるわ、大雪で空港が閉鎖になるわ、さらに会社はつぶれるわ、クリスマスの休暇シーズンなのに、イギリスの空は大混乱のようだ。

同じ言葉によって指しているものが実は違う、という例

私はたぶん説明下手な方である。時間をかけて文章を書くのは、まあ、なんとかできるが、特に誰かに面と向かって言葉で説明するのは下手なようだ。だから、そういう場面で、「話しがわかりにくい」と言われたり、全くイイタイコトが伝わらなかったりする。日本語でも英語でも同様だ(複雑なことを説明するほどのドイツ語力は持ち合わせていない)。

だが、こういう苦難(?)を毎日のように経験する中で、最近思うのは「話が分かりにくい」と指摘してくれたり、全く別の意に誤解する人に、一つの共通する点があるようにも思う。それは、何か説明された時に物事を理解する手順のようなもので、相手のモノの考え方のフレームワークを読み取ってそれに沿って理解しようとするか、あるいは自分が既に持つ(自分に既知の)フレームワークに落とし込んで理解しようとするかの差で、「わかりにくい」と指摘したり誤解する人は、往々にして後者であるケースが多いように思う。むろん「理解する」とは複雑なプロセスで、そう単純ではないだろうが、少なくともAという人からBという人に情報が渡る局面で、上のようなタイポロジーが可能ではあろう。

単純な例を挙げよう。日本に住んでいる人に「ウィーンに住んでいます」と言ったとき。しばしば返ってくるのは、お世辞や社交辞令的な部分もあるだろうが「素敵な街ですね」とか「いいですね」と言われて、それ以上会話が続かない場合がある。これが、たとえば「ジンバブエに住んでいます」ではどうだろう?きっと「大変ですね」とか「危なくないですか」とか言われるだろう。そしてジンバブエでの生活についてあれこれ聞かれるのかもしれない。

実際問題として、ウィーンで生活するのは、おそらく東京と極端な差はないと思うし、ウィーンにはいい面も悪い面もあるのだが、テレビあたりで見た自分の中にあるウィーンのイメージだけで「いいですね」などと返答すると、その先が続かない。逆に「へえ、ウィーンでどういう生活をしているのですか?」と聞いてくれる人も結構いて、その場合は先入観などを抜きに聞いてくれることが多いから、こちらも話す甲斐がある。前者の聴き手は、自分のフレームワークで聞く型、後者は、相手のフレームワークを受け入れようとする型、とも言える。

また、私の専門とする「公共交通」の分野でも、「公共交通」が意味するモノはずいぶん幅広いし、人によって差異がある。専門家でも異なることはざらだ。会話がちぐはぐになるのは同じ単語を使って意味しているモノがお互い微妙に違うから、などということはよくある。図などでも同じだ。もっと大きなモノになって、研究プロポーザルなどになると、全く頓珍漢な理解をする「専門家」もいて、言葉によって指しているものが相互に違うのだと気づかされることもある。いずれも、聴き手が自分のフレームワークに全て落とし込んで考えている時に起ることだろうと思うし、「専門家」は往々にしてそういう罠に陥りやすいのではないだろうか。

私自身だって他人のことを言える立場ではないのかもしれない。だが、この点を指摘しておく必要はあるだろう。自分のフレームワークで聞くのか、他人のフレームワークの上に入り込んで聞くのかでは、モノの理解のしかたに大きな違いがあるからだ。特に、世代が異なる人や、生まれ育った文化が違う人では、自分と相手のフレームワークの差が大きいかもしれないから、なおさら気をつけねばならないだろう。

カタール航空に乗る機会があった

先日、カタール航空に乗る機会があった。カタールのドーハを拠点としている比較的新しい航空会社だ。日本へも、ソウルの仁川空港経由で関西空港に乗り入れている。2010年からは成田空港にも乗り入れる見通しだという(ソース)。機材は小型機はA319, A320が主力、大型機はA330-300とB777-300ERが主力だ。これらを、ボーディングブリッジが一切ない現行のドーハ空港でさばいている。(ただし新空港を隣に建設中。)ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オセアニア、アジアへと、中東を拠点に路線を伸ばしている。

先日は、ウィーンからシンガポールまで、カタール航空で往復したのだ(そしてその先乗り継いでインドネシアのスラバヤまで行った)。ウィーンからドーハの便の隣の席は、ネパールのカトマンズへ帰るというネパール人。そのとなりはコロンボへ帰るというスリランカ人。ドーハへ着くと、大勢の人は乗り換えへと向かい、ドーハで入国の方へ向かう人はまばら。だが、これは序の口だった。

驚いたのが、ドーハからシンガポールまでの路線。往復とも、350席か400席程度はあろうB777-300ERの機内がほぼ満席。実はこの飛行機、ドーハ?シンガポール?ジャカルタと飛ぶのだが、そのほとんどは、メッカへの礼拝へ向かった帰りのインドネシア人であった。帰路のシンガポール?ドーハも同様。ちょうどイスラム教の礼拝シーズンにあたるハッジが始まる直前だったため、団体も多かった。(また、このB777-300ERの機体、運行を開始してから1年未満だろうと思うほど新しかった(往復とも)。座席のスクリーンがエコノミークラスなのに15インチくらいあって、タッチパネル式だった。)

問題は、現在のドーハ空港。狭いのに便数が多いので人があふれている。特に、朝8時前後と夜0時前後にフライトを集中させて乗継ぎの利便性を高めているらしく、この時間帯は非常に混雑。また、イスラム教の国のため、ビールすら手に入らない。それらしきモノは売っているが、よく見ると「ビアテイスト飲料」という奴だ。お店もあまりないため、時間をつぶすのはなかなか大変な空港だ。新空港が2010年頃にできるそうなので、それで改善されるだろう(ビールの件は変わらないだろうが)。

なお、余談だが、カタール航空の機内ではビールやワインを用意してくれているので、念のため。

ドーハの空港を離陸するカタール航空の航空機。

ドーハの空港を離陸するカタール航空の航空機。

ハッジに向かうと思しき人たちで混雑するカタール航空ドーハ行き搭乗口前(シンガポール・チャンギ空港)

ハッジに向かうと思しき人たちで混雑するカタール航空ドーハ行き搭乗口前(シンガポール・チャンギ空港)

朝8時頃のドーハ空港の中。

朝8時頃のドーハ空港の中。

今年もクリスマスマーケットの季節がやってきた

ウィーンの冬の楽しみといったら、クリスマスマーケット(Christkindlmarkt)だ。ウィーンの市庁舎前を筆頭にして、Altes AKH(ウィーン大学のキャンパス)、美術史博物館と自然史博物館の間、ベルヴェデーレ宮殿の前、シェーンブルン宮殿の前、カールス教会の前、シュピッテルベルクなど、挙げ始めたらキリがない。特に市庁舎前のマーケットはヨーロッパでも有名なものだ。また、マーケット以外にも、路上に出ている露店は多い。

このクリスマスマーケット、農閑期の農家や地方の工房の「出稼ぎ先」のようだ。露店の小屋にはたいてい営業者が書かれているが、シュタイアマルクやブルゲンラント、ニーダーエスターライヒ、オーバーエスターライヒあたりのものが多い。ウィーンのクリスマスマーケットでは少し高めにモノが売れるから、稼ぎもいいのだろう。

また、今年は市内各所のイルミネーションに白色LEDが多用されるようになった。中心部のグラーベン通りの電飾は、形こそ同じだが、白熱電球の色から白色LEDの色へ変化。透き通った感じが増した(好みは別れるだろう)。

10月の後半から11月半ばまでのウィーンは、空も街も灰色でひじょうに鬱屈した街になる。ところが、11月中旬にクリスマスマーケット始まると、途端に華やかになるのだ。この華やかな雰囲気は、延々と年明けまで続く。

ウィーン市庁舎とその手前のクリスマスマーケット

ウィーン市庁舎とその前の広場で行われているクリスマスマーケット。多くの人でごった返している。

市内の目抜き通りグラーベンのイルミネーション。

市内の目抜き通りグラーベンのイルミネーション。